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2026.09.16
リベレーションフェスタ2026
リベレーションフェスタ2026
2026年9月20日(日)、リベレーションフェスタ2026が開催されます。

リベレーションフェスタでは、実行委員会に参加するメンバーが中心となって展示を作成しています。今年でパネル展示は3 作目となりました。今回は、部落の住環境について特集しました。
部落の住環境は劣悪でした。水害にあうムラ、台風で家が破壊されたムラなど、記録写真が残されています。高度経済成長の恩恵が部落を素通りし、水道もなく、共同便所で、4 畳半に7人が寝ていたことなど、ムラの酷い住環境についての記録もあります。この状況を改善しようと、部落の人びとは立ち上がり、施策を勝ちとってきた経過があります。
今回は写真を中心にして、京都市内の部落の住まいの風景をパネルにしました。当時建てられた住宅は耐用年数を超え、建て替えがすすめられています。住民の高齢化が進み、かつてのような地域のにぎわいは失われています。これは、新たな課題です。また、ネットで地域をさらす投稿もあふれていて、土地への忌避意識も根強くあります。地域の活性化や課題解決のため、さまざまな立場で議論をすすめる必要があります。パネル展示企画がそのきっかけになりますよう、願っております。
戦後の部落の暮らし
1950 年代初頭まで、部落の周辺には引揚者(戦争から帰ってきて住むところない人)の流入もあり、バラックと呼ばれる粗末な小屋が集落のようになっていました。行政は「疎開跡整備事業」などを通じてスラム対策を進めていきます。京都市でも50 年代から市営住宅の建設が始まりましたが、多くの部落は劣悪な環境に置かれ、台風や水害の被害に遭い続けました。
1951 年から52 年にかけて、三条・養正・楽只・ 壬生の各地区を対象にした「京都市不良住宅実態調査」が行われ、共通の問題が報告されています。
・路地の中に入ると出口がわからなくなるくらい建
物が密集している
・昼でも真っ暗なほど日当たりが悪い
・風通しが悪い
・水路が詰まり、大雨のたびに道に水があふれる
・何度も浸水するため柱の根元が腐り、傾いている
・水道設備がなく、道が狭く消防車も入れないため
住人は火事の恐怖におびえている
・瓦(かわら)屋根は25 年ほどで取り替える必要
があるが、その形跡が一度もない家がほとんど
・ジェーン台風のあと修復できないまま、落ちてき
た瓦をまた乗せている
・雨漏りするため天気によって使えない部屋がある
・共同井戸はむき出しのままで雨も防げない
・多いと10 軒もの家がひとつの井戸を使っている
・共同便所のドアが閉まらず悪臭がただよっている
・1 人あたりの就寝面積が平均1,25 畳、最低0,6 畳
で、ふとんも足りないため雑魚寝するしかない
(当時の基準は1 人あたり2,5 畳から3 畳)
・家での仕事(靴職人など)の場合、仕事場と寝室
を分けることができない
危険な住居が多かったのは、建築から長い時間が経っているからという理由だけではありません。そもそも、家を建てるときの資材自体が古いものだったのです。
「近くの工場がつぶれたときに残った資材を使って建てた」という家もあれば、「市電を通すときに撤去された家や寺の木材をタダ同然で買って建てた」という家もありました。
また、戦時中は防火対策のために天井板を取り外していたのですが(屋根に焼夷弾が落ちたとき家の中からでも消火できるようにするため)、新たに天井をつけることができず、屋根裏がむき出しになっている家が40%あることも報告されています。そのため、屋根の隙間からホコリやチリが室内にそのまま落ちてきたり、雨漏りがひどく畳や布団を腐らせたりすることがありました。
1960 年には、危険な住宅が密集する地域を「改良地区」として整備を進めるための住宅地区改良法ができましたが、改良地区に指定されないままの部落も少なくなかったのです。
辰巳部落でも1961 年の第2 室戸台風によって、全壊3 戸、半壊15 戸、一部損壊8 戸という大きな被害が出ました。しかしその後も改良地区には指定されず不良住宅はそのままになり、ようやく指定を受けたのは1974 年12 月のことでした。

京都の中で最も水害の被害を受けてきたのが清井町部落です。度重なる浸水被害の結果、部落ごと現在の場所に移転せざるを得なかったという歴史があります。
西高瀬川と川田川にはさまれた清井町部落は、下流に鴨川と桂川の合流点もあるため、大雨が降るたびに水が逆流しました。町内は水びたしとなり、家の中まで濁流が入り込んで何日も水が引かず、深刻な水害となりました。家具や畳は使い物にならなくなり、家が完全に水没するような被害にも幾度となく見舞われました。
非常時には半鐘が鳴らされ、住民は救命ボートに乗って避難しました。町内のポンプ小屋には木製と金属製の二隻のボートが用意されていました。このうち金属製のボートは、現在でも保管されています。
展示で紹介している写真は「上鳥羽南部いきいきセンター」に展示されています。写真のほか、救命ボートも見ることができます。
改良住宅の建設
京都市では部落の人たちの運動もあって比較的早い時期から市営住宅の建設が進められてきましたが、1960 年の「住宅地区改良法」、1969 年の「同和対策事業特別措置法」によって、住宅事情を改善する取り組みがいっそう進められるようになりました。
ここまで紹介してきたような「不良住宅」に暮らす人たちが地方自治体に家や土地を売却し、自治体が国から補助を受けて建設したのが「改良住宅」です。京都市でも「地区クリアランス事業」によって、多くの団地が建てられました。しかし、全員が喜んで入居したかというと、そう簡単な話ではありませんでした。生活環境が一変することによってそれまでとは違う出費が増え、もちろん家賃も発生します。周辺地域からは新築の団地をうらやむ声もあがりましたが、それほど良い条件ではないというのが実情でした。

面積だけを見ると当時の基準よりは広いのですが、ここに最大7 名が住むことを考えれば十分な広さではありません。風呂もないため、近くには次々と銭湯が建設されました。当時の一般的な団地では5 階までならエレベーターを設置しないのが普通でしたが、それは入居者の中心が2、30 代の若年ファミリー層だったからです。改良住宅には高齢者も多く、負担が大きいものでした。全国の改良住宅で初めてエレベーターが設置されたのは養正地区で、1971 年のことでした。
また、「不良住宅」に住んでいた人が誰でも改良住宅に入居できたわけではありません。独身者は入居できず、継続的に安定した収入があることのほか、「今までの生活からはなれ、新しい文化的な生活」をすること、「家を美しくしていく気持ちを充分もっている」ことも求められました。
京都市では1998 年に「応能応益家賃制度」が導入されました。これは世帯収入に応じて家賃が増える仕組みです。共働き世帯の多くは、住宅環境に見合わない高い家賃を払うことになるため、住み慣れた土地を離れていきました。これが地域の高齢化、過疎化を進めることになりました。
地域再生の実践
住民の高齢化が進む中、早い時期に建設された改良住宅では様々な問題が持ち上がっていました。エレベーターがなかったり和式トイレのままだったりするのは高齢者が暮らすのに不向きなだけでなく、狭い室内や風呂がないことは介護する側にとってもハードルとなりました。
外出しにくい環境では高齢者が引きこもりがちになり、近所の目も届きにくい状況になってしまいます。かつてあった交流が失われていくことは、地域文化の弱体化や孤独死のリスクを高めることを意味します。
また、古い基準の住居スペースや家賃に見合わない環境は若い世代を遠ざけ、地域の未来や福祉を支える担い手がどんどん流出していくことになってしまいました。こうした状況を前に、地域再生を目指す多くの取り組みが行われています。
楽只地区では、1993年に「千本ふるさと共生自治運営委員会(じうん)」が発足し、部落解放同盟千本支部をはじめ学区内の各種団体が連携し、住民主体のまちづくりを進めてきました。1997年からは改良住宅の建替えワークショップを開催し、住民主導のもと2002年から2010年にかけて21棟・22棟・23棟の建設および建替え事業を実施しました。
新棟では住居の広さが選べるようになったり、エレベーターホールに交流スペースが設けられたりと住民の意見が反映されています。建替えの対象外となった棟でも、エレベーター設置や耐震補強が進められました。
田中地区でも同様に住居の老朽化が問題視され、建替住棟の入居者と地元団体に京都市が加わる形で2000年に「養正新1棟建設準備会」が設立されました。準備会ではワークショップ等で住民の意見を集約し、2004年に「人権・環境の21世紀」の願いを込めた「養正市営住宅21棟」が完成しました。その後、住民のニーズを反映した歩道整備事業を通じてまちづくりへの関心が高まり、商店街や駐車場の代表者も含めて田中地区の将来について議論を積み重ねてきました。
この駐車場についても、部落ゆえの経緯があります。改良住宅が建設された頃は日本中で自家用車の保有率が上がっており、部落の人たちも職を得るために運転免許を取るようになりました。ところが差別のため周辺の駐車場を借りられないことがあり、地域では危険な路上駐車が問題となったのです。田中支部は行政と連携しながら駐車場建設への働きかけを行い、1995年に作られたのが養正北西駐車場です。この後も既存の住宅に駐車場を整備したり、歩道を拡大したりと、安全に通行できる地域づくりが進められてきました。
2007年に「養正田中まちづくりの会」が組織されて以降は、この会が中心となって様々な取り組みを行っています。多方面と連携しながら、町内のクリーン活動や使用済み油の回収など、より多くの住民が加わっての活動が展開されています。
2011年からは京都市の「ストック総合活用計画」がスタートしました。市営住宅ストック(京都市が保有する既存の市営住宅)は老朽化が進み、耐震性が低く、住む上でも様々な不便がある状態です。こうした環境の改善をはかるため、古い住宅を作っては壊すのではなく、今ある住宅を手入れしながら長く使っていくという計画が提案されました。改良住宅もこの対象であり、建物の耐震化やエレベーター設置、浴室の設置など、住環境が少しずつ改善されていきました。
しかし、第1次活用計画が終了しても十分な改修がされていない住宅があるだけでなく、住民の高齢化はますます深刻な問題となりました。市営住宅では高齢者のいる世帯が全体の6割を占め、京都市全体の高齢化率(3割)に比べるとかなり高い割合です。こうした状況を踏まえて、2021年からは第2次活用計画が始まっています。高齢者の増加による管理運営への影響や少子化の進行、今後2、30年の間に多くの市営住宅で建替えが必要となることなど、たくさんの課題が残されています。
住居の建替え・新築というハード面だけではない取り組みも、それぞれの地区で進められています。養正地区では2017年に「ようせい夏祭り」を復活させました。2021年からは「かもがわデルタフェスティバル」として、楽器演奏や多文化パレード、神輿担ぎ、盆踊りなどのプログラムで開催しています。地区の小中学生もダンスや吹奏楽で参加し、高校生ボランティアは地区外からも参加するなど、交流が進んでいます。
楽只地区では2026年度から「じうん」と市が連携し、海外のクリエイターを一定の期間受け入れる「アスタリスク・イン・レジデンス」事業を開始しました。地域住民や若者との交流を通じて、新たな地域の魅力と活力の創出を目指しています。
西三条地区では2005年に「NPOあかしやふれあいネットワーク」が設立されました。高齢者に関する相談や一人暮らしの高齢者の見守り、子どもの貧困問題解決に向けた取り組みなど、人権と福祉の活動を積極的に展開しています。週に3日開催する「あかしや輪い和いクラブ」はひとり親の家庭を支援するもので、夕食の提供や大学生ボランティアによる勉強の支援などが行われます。夕食には多彩な献立が用意され、季節に合った食事をとることができます。毎月デイサービスに出かける「交流の日」もあり、夏休みの宿泊体験ではバーベキューや花火を楽しむなど、子どもたちの成長にとって重要な学びの機会を提供しています。
吉祥院地区では、「吉祥院六斎念仏」を通じた取り組みがなされています。六斎念仏は、空也上人が鉦や太鼓を叩いて踊りながら念仏を唱えたのが起源とされ、1953 年に無形文化財、1983 年に重要無形民俗文化財に指定されています。吉祥院では明治10 年代に、8 組のグループが吉祥院天満宮に六斎を奉納していましたが、部落の人々は教えてもらうことができず悔しい思いをしていました。六斎を知る農民に土地を貸していた部落出身の地主が、農地の賃料を安くするかわりに踊りを教えてほしいと頼んだことで、部落にも六斎念仏が伝わったと言われています。奉納の順番をめぐる差別などを受けつつ、1960 年代には吉祥院部落だけが六斎念仏を受け継ぐ存在となりました。長い時間の中で断絶の危機もありましたが、差別の歴史を伝えるために現在も「六斎保存会」として踊りを伝えています。
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六斎保存会のほか、子どもたちも伝統を受け継ぐ存在です。学習センターで歴史を学びながら、地区の子どもと学校の先生が楽器や衣装、道具を作り、獅子頭も手作りをして、1995 年の全市交流会で獅子舞を披露しました。その後「子ども六斎会」が立ち上がり、地域の組織や大人が協力しあって子どもたちをバックアップしてきました。差別の歴史とそれに抵抗してきた先人の精神を継承しつつ、吉祥院サマーフェスタやリベレーションフェスタなど活躍の場を広げています。
これらの取り組みは「吉祥院六斎念仏保存会」のInstagram や、Youtube「吉祥院六斎念仏チャンネル」でも発信されています。
新たな地域創造のために
住居の建替えが進み、それぞれの地区での取り組みもありますが、課題は残されています。中でも住民の高齢化は大きなテーマであり、普段の生活はもちろん、地震などの災害が起こった場合の避難生活は高齢者だけでは困難です。また部落以外からの移住者も増えつつあり、近所にどのような人が住んでいるかもわかりづらくなっています。
こうした状況の中で、地域コミュニティの活性化のためにどんな対策が考えられるでしょうか。ひとつは目的外利用です。これまでは入居対象でなかった学生が市営住宅に住み、住民と交流しながら自治活動にも加わるという実践が田中宮でなされています。また京都市は、2023 年に「京都市若者・子育て応援住宅」をスタートし、翌年には福祉や文化・まちづくりの推進を目的とした「利活用提案募集制度」も開始して事業者を募っています。これは民間の企業や団体が市営住宅の空室を借り、障害者グループホームやコミュニティサロン、子ども食堂などの事業を行うというものです。
もうひとつは「近居入居制度」の活用です。これは親と子などの世帯が近くに住むことで、子育てや家事、介護などの支え合いをしやすくする仕組みで、同居に比べてそれぞれの生活スタイルを維持しやすいメリットがあります。
しかし、これらのアイディアも万能ではありません。市営住宅への入居を希望する学生がいつでもいるとは限らず、多くは4 年で卒業してしまうため、どのように継続的な取り組みにしていくかは難しい問題と言えます。近居入居についても、入居のためには収入等の条件があるほか、現在募集がかかっている物件の場所も、住民からの希望を反映したものではありません。そもそも、大きな団地だけが注目されているのではないかという指摘もあります。
実際に生活してきた人たちの声を尊重しながら、ソフト面から「人権・福祉のまち」を目指すことが大切です。
残る土地差別と戸籍不正取得
京都府の調査によると、部落差別に関する様々な項目の中で、「土地」に関わる差別が根強く残っていることがわかりました。部落出身者への差別意識はやわらぎつつあるものの、「部落に物件がある場合は購入を避ける」という人は7 割弱にのぼり、過去の調査からほとんど変化がありません。ネット上にも「ここが部落だ」という動画がアップされることがあり、部落の土地を興味本位で取り上げたり、タブー視したりという意識がうかがえます。悪意のある情報発信を防ぎ、地域間の交流を推進するなど、土地差別解消のための更なるはたらきかけが必要と言えるでしょう。
土地への差別だけでなく、血筋への差別も残っています。京都市でも2000 年代以降に、子どもの交際相手の戸籍を不正に取得して結婚に反対するなど、複数の差別事件が報告されています。現在、戸籍や住民票を本人の委任状なしで取得できるのは、弁護士や税理士など8 つの職業に限られていますが、この強い権限を悪用した不正取得事件が相次いでいるのです。
「事前登録型本人通知制度」は、あらかじめ登録をしておくと、住民票の写しや戸籍謄抄本等が本人以外に交付された場合に、それを郵送で知らせてくれる制度です。京都市でも2014 年に導入されました。第三者からの請求を拒否することや、取得される前に通知してもらうことはできないのですが、もし身に覚えのない交付があったときは不正請求を早期発見できるというメリットがあります。



